AK-3 ブロッケン現象

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『グロリア』が公開された当時(1981年)、
日本ではそれ以前のカサヴェテス監督作品は
ほとんど公開されていない。

『アメリカの影』から『グロリア』に至るまでの間、
カサヴェテスがアメリカよりも
ヨーロッパで高く評価されていたことを、
文面からすると黒澤明は知らない。

『CINEASTES DE NOTRE TEMPS』(写真)の製作者は、
ジャニーヌ・バザンとアンドレ・S・ラバルトで、
二人が<カイエ・デュ・シネマ>の創設者
アンドレ・バザンの未亡人と
その雑誌の批評家という事からわかる通り、
フランスの映画雑誌<カイエ・デュ・シネマ>が、
カサヴェテスにとって強力な後ろ盾になっていた。

黒澤明はカサヴェテスが映画産業で成功すると睨んでいた。
ところがカサヴェテスのほうは、ハリウッドの商業主義に背を向けて、
インディペンデントの道を歩んでいたのである。

カサヴェテスがハリウッドとうまくやっていたら、
黒澤明よりも商業的成功を収めていた可能性は十分ある。

黒澤明はそのことを残念がっているのだが、
『グロリア』はカサヴェテスにとってはアルバイトみたいなもので、
次回作になったのは、芸術的野心作『LOVE STREAMS』だった。

『グロリア』は日本でもヒットして、
映画監督としてのカサヴェテスの名を一躍広めた。
それまで一部の熱心な映画ファンにしか知られていなかったのが、
ごく普通の映画好きに、
”カサヴェテス知ってる?”
と聞けば、
”『グロリア』の監督でしょ”
という具合になった。

しかし、『グロリア』を気に入った多くの人たちにとっては、
他のカサヴェテス作品はカルト映画というのが
厳しい現実なのである。

黒澤明の手紙にはカサヴェテスの名前は一度しか出てこない。
しかも綴りが間違っている。
1993年に[カサヴェテス・コレクション]の名の下に、
日本で初めてとなるカサヴェテスの特集上映が開催され、
その時のパンフレットに黒澤明の文章があり、
そこには信じられない事が書かれてある。

黒澤明はカサヴェテスという名前を二十年間知らなかった。

自分の申し出を断るにしても、
何も言わずに走って行ってしまった
礼儀知らずの若造の名前など
ラングロワに聞く気も起きなかったのか?

いずれにせよ、『SHADOWS』(影)という言葉が
黒澤明の記憶の彼方にずっとあったことは
不思議な因縁と言えるだろう。

1980年に十年ぶりとなる日本映画『影武者』を完成させた後に
”影”の創造者の”光”(『GLORIA』)と再会したのだから。


 
 『LOVE STREAMS』(1984 邦題『ラヴ・ストリームス』)
  1985年の第一回東京国際映画祭で上映されたものの、
  買い手がつかず、その後劇場未公開のままビデオ発売され、
  1987年に一般公開された。



AK-2 走り去った人へ

©雪柳春雷
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