ZARD 坂井泉水辞典 5


 Hypnosis
 作詞 坂井泉水

 あなたに愛されたいのに もう 愛したくない
 さっきからずっと見つめてるけど 一向に分からない

DVD版

あなたに愛されたい
なのに 同時に
もう愛してほしくない


『勝手にしやがれ』では、
パトリシアは
映画の終盤で、
愛したくない、と語る。
そこまで
時間の経過がある。
『Hypnosis』は、意識の変化
を描いているのではなく、
反駁する意識状態にある
二人の人物を
同時に描いている。
その二人とは、坂井泉水と
蒲池幸子である。




映画と違ってわずか数十行の歌詞における引用は、
数量的に不利な上に、
映像を欠く活字から活字だけという単一の方法では、
音楽の抽象性との関係においてもつぎはぎの印象しかない。

たとえ坂井泉水がこのサビの部分を、彼女の歌で、
石川啄木の三行短歌を表現したつもりだったとしても、
『遠い日のNostalgia』全体からは、
女性特有の恣意的誇張法として部分的に際立ってしまっている。

その前にある文章と比較すると、
不必要な美化がなされているためだ。
石川啄木の作品は、
自身と四ヶ月の間に二度しか話したことがなかった
女性を対象にしているが、
『遠い日のNostalgia』は、
付き合っている間に
二度しか話したことがなかったとは思えない恋人達と
もう一人の女性が絡んでくる。
そのためにごくありふれた内容になってしまい、
石川啄木と同じ「言葉」という単語を使ってはいても、
その言葉の力に差がある。

曖昧ではあっても美的な響きを持つ
「言葉」という単語に置き換える必要のない、
具体的な内容の「あの日言えなかった言葉」が、
その上の行にわざわざ書いてあるのだ。

こうなると、「言葉」は他の単語に置き換えることができてしまう。
「言えなかった」と「言葉」の依存関係で不均衡が生じ、
「言えなかった」ことを後悔していても、
それが必ずしも「言葉」でなければならないとは限らない。

文末を「眠ってる」と書きかえたことが、はからずも、
言葉の力によって「言葉」のみならず、
この作品自体の存在価値を奪ってしまった。

眠っているものをわざわざ起こす必要はないのだ。
「勝手に」(『Hypnosis』)
眠らせておけばいい。
思い出と共に。



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©雪柳春雷
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